クリエイティブの可能性 東北冬合宿 ~東北ボランティア~

~「他人事」を「自分事」にする~

という目標を掲げて参加した、クリエイティブの可能性 東北冬合宿(2012.12.~24)

この3泊4日で感じたこと、考えたことを共有したいと思います。

そして、これを読んでくださっている皆様、少しでもいいので東北に”想い”を馳せてみてください。

①「他人事」を「自分事」にする

どう頑張っても、東北で起きたことは「他人事」でしかない。

体験していないから。

でも、実際に目にして、被災者の方との対話・共に被災地を感じた仲間との対話から「自分事」にしたい!

その思いを胸に、今回の合宿に臨んだ。

②被災地を「見て」感じたこと

21日の深夜にメンバー42人を乗せたバスは、22日南三陸町に到着。

海沿いの町は、津波でほとんど流されていた。

そこにあったものは、自分が想像していた「瓦礫の山」ではなく「原っぱ」だった。

「ここに人は住んでいたのだろうか?」

そんなことを考えても、まるで実感として湧いてこなかった。

③南三陸町でのボランティア

南三陸町では、津波で流されてしまったお家の瓦礫の撤去を行いました。

建物自体は流されてしまっていたが、コンクリートの土台と共に残されていた「生活の跡」

キッチンがあったであろう場所には、たくさんの食器の破片…そして、微かに漂う醤油のにおい…

間違いなく、そこには「生活」があった。

④南三陸町 防災庁舎

津波警報がでてから南三陸の住人に避難を呼びかけつづけ、最終的に津波によって流されてしまった防災庁舎。

震災後、メディアで良く取り上げられ、目にしたことのある人も多いのではないか。

折れ曲がった鉄筋。周りに広がる瓦礫。

私はそこに「建物」がいくつもあったということを想像した。

何をもって復興というのか?

…「自分事」って、何?

⑤気仙沼イルミネーションプロジェクト

http://www.facebook.com/kesennuma1225

日も暮れて、はっきりと街並みは見えなかった。

でも、イルミネーションは町全体を明るく照らしていた。

高さ23メートルのポールにイルミネーション

この高さは、ここに来た津波の高さを表している。

このイルミネーションプロジェクトを動かしている方は、

「災害は怖い」「気仙沼の人も頑張っている」ということを忘れないでほしい。

と、おっしゃっていました。

気仙沼の方はとても明るく、「前を向いて進んでいる!」ということを感じた。

⑥ダイアログ「被災地に来て何を感じたか」

対話をしていく中で、自分たちは「ボランティア・支援という土台」の上に話をしている。

その土台を取っ払って、ニュートラルに考えてみる。

そして、「隣にいる友達がお茶をこぼしたら拭いてあげるよね?そんな感覚で出来ればいいんじゃない?」

という話になった。

これが、「自分事」なのかな?としっくりきた。

第一歩は、わかろうとすること。思いやること。

⑦陸前高田 仮設住宅でのお話

私は、大阪さん(呼び名は「陸前高田のママ」)のお話を伺わせていただきました。

津波が来たときは、ママ自身も津波にのまれ1.8リットルほどの黒い水を飲んだそう。

助からない。そう思ったとき「さようなら」そうつぶやいた。

その時に差しのべられた若者の手。

助かった後も極寒の中、自分の体温で服を乾かし、どうにか暖をとる。

津波が去った後は、「割りばし1本残っていなかった」暫く経ってからようやくだいることのできた、お風呂。

津波によって体中が塩で焼け、髪の毛は抜け落ちた。

旦那さんを10日ほど前に病気で亡くされたママ。

「本当に一人になっちゃた。私にはお線香を挙げてくれる人は一人もいない。」

「どうか、私と手をつないでください。」

そんな話を聞いて、私は涙が止まらなかった。

「ママと友達になりたい」

そう、思った。

もう一軒の仮設住宅でも、住人の方のお話を伺いました。

そこの仮設住宅の方は、ママの畑で野菜を育てて自給自足の生活を送っているのだそう。

「野菜初心者」という佐藤さんのお話を聞かせていていただきました。

「育てている野菜を食べるとき、みんなにおすそ分けして美味しいといってくれたとき」が本当に嬉しいのだそう。

帰り際、佐藤さんと2人で話すと、

「こうやって来てくれるだけで本当に嬉しいんだよ。元気をもらったよ。ありがとう。」と、一言。

涙が止まらなかった。

何もできていないのに、嬉しいと言ってくれて、本当に嬉しかったし切なかった。

ママや佐藤さんと話した後に見た陸前高田の町はすごく灌漑深いものだった。

前日に南三陸で感じた、『そこに「建物」があった』という感情ではなく

『そこに「人」がいた。「生活」があった。』ということを感じた。

バスの中から陸前高田の町を見て、涙がこぼれた。

⑧人を繋いで、思いを伝える

22日・23日共に、ダイアログ終了後「コミュニケーションルーム」にて語り。

みんな思い思いに対話をする。

この合宿で初めて出会った仲間と語り合うことで、自分とも対話ができた。

「人を繋いで、想いを伝える」

そして、やっぱりキラキラしていたい!

⑨福島は未だに被災中です。

最終日は福島にある除染プラザにて、原発の影響についてお勉強。

その後、小学校6年生と5歳の息子さんを持つお母さんのお話を伺いました。

震災後は、情報が錯綜して原発事故が安全なのか危険なのかがわからない状態に。

今は団体を立ち上げて、行政に働きかけを行ったりしているのだそう。

その影響で、つらいことも多々あるとのこと。

福島で今起きていることに目を向け、正しい知識・情報を身に着けることが大切なのだと、改めて思った。

⑩総括・感想

3泊4日で自分の感情が、ずっと動き続けた。

初めて見るもの、初めて聞く話…どれも、すぐに受け止められるものではなかったけれど、

41人の仲間と共にいることで、受け止めることができたのだろう。

震災から1年9か月…

被災地がメディアに取り上げられる回数は、減った。

しかし、復興したわけではない。

瓦礫が片付き、物理的な”復興”は進んでいるかもしれないが、

そこに、被災者の気持ちのケアは進んでいないのかもしれない。

何をもって”復興”なのか?

もし、震災前と同じ建物を作ることができたとしても、震災前の「心」を作ることはできない。

それでも被災者の方は前を向いて歩んでいる。

ボランティアの形はたくさんあります。

ボランティアをする。観光に行く。東北の食べ物を買う。

どれも素敵な選択肢です。

被災地のみんなの頑張りをこれからも見続け、お手伝いしていきましょう!

2012.12.31

班目美紀(まだらー)